停戰詔書

停戰詔書

停戰詔書,也稱日本停戰詔書,為第二次世界大戰結束的標誌性檔案,日本法西斯最終於1945年8月15日向同盟國(美、英、中、蘇四國)無條件投降。

基本介紹

  • 名稱:停戰詔書
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簽訂背景

1945年8月15日中午,日本天皇裕仁廣播《停戰詔書》,宣布接受《波茨坦公告》所規定的各項條件,無條件投降。中國經過艱苦卓絕的14年抗戰,終於取得勝利。中國抗戰14年,軍隊、平民傷亡2100多萬人,財產損失和戰爭消耗達1000億美元 日本法西斯全面戰敗.

簽訂意義

這象徵著第二次世界大戰的結束,但是回顧歷史,發現天皇裕仁廣播的《停戰詔書》以及任何現有公布資料都沒有“戰敗”之類的字眼。事實上,此時的日本已經無力再將戰爭延續下去,遭到了“一頓拳腳受了傷,兩顆子彈送了命”的傷害("一頓拳腳"指亞洲各國的反擊,“兩顆子彈”指美國的核子彈轟炸----日本民間流傳說法),不得不投降。

簽訂原件

中文翻譯

1945年8月14日
停戰詔書
朕深鑒於世界大勢及帝國之現狀,欲採取非常之措施,以收拾時局,茲告爾等臣民,朕已飭令帝國政府通告美英中蘇四國願接受其聯合公告。
蓋謀求帝國臣民之康寧,同享萬邦共榮之樂,斯乃皇祖皇宗之遺範,亦為朕所拳拳服膺者。前者,帝國所以向美英兩國宣戰,實亦為希求帝國之自存與東亞之安定而出此,至如排斥他國主權,侵犯其領土,固非朕之本志。然自交戰以來,已閱四載,雖陸海將兵勇敢善戰,百官有司勵精圖治,一 億眾庶之奉公,各盡所能,而戰局並未好轉,世界大勢亦不利於我。加之,敵方使用殘酷之炸彈,頻殺無辜,慘害所及,真未可逆料。如仍繼續交戰,則不僅導致我民族之滅亡,並將破壞人類之文明。如此,則朕將何以保全億兆之赤子,陳謝於皇祖皇宗之神靈。此朕所以飭帝國政府接受聯合公告者也。
朕對於始終與帝國同為東亞解放而努力之諸盟邦,不得不深表遺憾;念及帝國臣民之死於戰陣、殉於職寧、斃於非命者及其遺屬,則五臟為之俱裂;至於負戰傷、蒙戰禍、損失家業者之生計,亦朕所深為軫念者也。今後帝國所受之苦難固非尋常,朕亦深知爾等臣民之衷情,然時運之所趨,朕欲忍其所難忍,堪其所難堪,以為萬世開太平。
朕於茲得以維護國體,信倚爾等忠良臣民之赤誠,並常與爾等臣民同在。如情之所激,妄滋事端,或者同胞互相排擠,擾亂時局,因而迷誤大道,失信義於世界,此朕所深戒。
宜舉國一致,子孫相傳,確信神州之不滅,念任重而道遠,傾全力於將來之建設,篤守道義,堅定志操,誓必發揚國體之精華,不致落後於世界之進化。爾等臣民其克體朕意。
御名御璽
昭和二十年八月十四日
各國務大臣副署

日文原文

朕深く世界の大勢と帝國の現狀とに鑒み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。朕は帝國政府をして米英支蘇四國に対し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。抑々、帝國臣民の康寧を図り萬邦共栄の楽を偕にするは、皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措かざる所、曩に米英二國に宣戦せる所以も、亦実に帝國の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他國の主権を排し、領土を侵すが如きは固より朕が志にあらず。然るに交戦已に四歳を閱し朕が陸海將兵の勇戦、朕が百僚有司の勵精、朕が一億眾庶の奉公各々最善を盡くせるに拘らず、戦局必ずしも好転せず。世界の大勢、亦我に利あらず、加之敵は新に殘虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し慘害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招來するのみならず、延て人類の文明をも破卻すべし。斯の如くむば、朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや。是れ、朕が帝國政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。朕は帝國と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。帝國臣民にして戦陣に死し、職域に殉し、非命に斃れたる者、及び其の遺族に想を致せば五內為に裂く。且、戦傷を負ひ、災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念する所なり。惟ふに今後、帝國の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も、朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、以て萬世の為に太平を開かむと欲す。朕は茲に國體を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。若し夫れ、情の激する所、灠に事端を滋くし、或は同胞排擠互に時局を亂り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、朕最も之を戒む。宜しく挙國一家子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を將來の建設に傾け、道義を篤くし志操を鞏くし誓って國體の精華を発揚し、世界の進運\に後れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を體せよ。御名御璽昭和二十年八月十四日

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